甲府市議会 2020-06-17 令和2年総務委員会 本文 開催日: 2020-06-17
私がよく質問する山本美保さんのお母さんも大分高齢になりました。山本さんは今年6月4日で36年間、家を出たきり、まだ戻っていないんです。昭和59年6月4日から36年間、すごい日数なんです。
私がよく質問する山本美保さんのお母さんも大分高齢になりました。山本さんは今年6月4日で36年間、家を出たきり、まだ戻っていないんです。昭和59年6月4日から36年間、すごい日数なんです。
私が甲府市議会議員となり、昔の市庁舎でありましたが、本議場で初めて質問させていただいた項目の中に山本美保さんの拉致疑惑があります。 以来、この問題については、本会議及び委員会の中でも人権問題と捉え、繰り返し質問させていただいておりますことは皆様も御承知のことと思います。
朝鮮民主主義人民共和国による日本人拉致問題については、拉致被害者として認定されている12人のほか、特定失踪者問題調査会が朝鮮民主主義人民共和国による拉致の可能性を否定できないと判断する特定失踪者約470人のうち、特に拉致の可能性を濃厚としている77人の中には、本市の山本美保さんも含まれております。
答弁というのは、人権侵害、人権問題に対しては個別分野の枠組みを越えた政策を推進してまいりますとか、関係団体と連携をとりながらしっかり取り組んでいく、これは前の宮島市長からの答弁でありますけれども、今度、樋口市長に私は拉致問題は質問しておりませんけれども、8回質問させていただいて、ほとんどの答弁が関係団体と連携をしていくということで、これは私思うに、山梨県甲府市の中でも、私よく質問に出すんですが、山本美保
これまでこの問題に関する質問を何回かさせていただき、その中で本市の山本美保さんが拉致された確率が非常に高い1人であると認定されていることを説明してまいったところですが、先月26日にスウェーデンのストックホルムで日朝局長級会合が開催され、北朝鮮は日本人拉致と拉致の可能性が否定できない特定失踪者を含めた再調査をすることを日本政府と合意しました。
1984年の6月に失踪とされた甲府市民である山本美保さんは、2002年、当時の小泉首相の北朝鮮訪問をきっかけに、拉致被害者に次ぐ拉致濃厚者として数えられています。2004年1月には日本弁護士連合会人権擁護委員会への救済申し立てを行い、日本弁護士連合会からも政府に対して調査、救済を図るよう要請が出されています。
さて、特定失踪者の山本美保さんも1984年に突然いなくなってはや26年が過ぎてしまいました。拉致の可能性が十分ありながら、確かな手がかりを得られずに何年もが過ぎ去ってしまったのであります。
さて、特定失踪者に指定されている甲府市の山本美保さんは、昭和59年6月4日にバイクで図書館に行ってくると家を出たまま失踪し、4日後の6月8日に新潟県柏崎市の海岸で美保さん本人のセカンドバッグが見つかったのですが、その後の調査等により、北朝鮮に拉致された方と判明されてきたわけであります。
本市内においても、特定失踪者の中の一人であります山本美保さんの家族を支援する会が中心となり、12月16日、集会を開催し、大勢の市民の皆様が御参加され、宮島市長にも駆けつけていただき、マスコミや、たくさんの皆様方に拉致問題を訴えることができました。
さて、本市の一市民であります山本美保さんが、特定失踪者の一人として、真相究明に向け、市長はじめ市民の皆様から支援活動に大変な協力をいただいてまいりました。
山本美保さん、1984年6月4日の失踪から20年、ようやく拉致濃厚と判断され、政府の拉致認定に向けて申請を提出する直前の平成16年3月5日、20年前、山形の海岸で発見された御遺体が、DNA鑑定の結果、山本美保さん本人と断定され、全国放送で一斉に報道されましたのは、まだ記憶に新しいところであります。
昨年、拉致被害者認定を求める県民大集会が開催され、山本美保さんの拉致認定を政府に求めるため、大勢の皆さんに参加いただきました。そして、参加者全員で「拉致した日本人を帰せ。失踪者の真相を明らかにせよ。早期解決に向け頑張ろう」と、大きく気勢を上げ、力強い集会となりました。
1984年、長松寺町に在住の山本美保さんは当時20歳でありました。美保さんは母親に「図書館に行ってくる」と言い残し、家に戻らず連絡がないまま消息不明となり、柏崎市荒浜海岸に財布と免許証の入ったバッグが見つかって以来、失踪事件として新潟県警の懸命な捜査が行われはじめ19年がたちました。現在も捜査が続いている状況であります。 平成14年9月23日にはこの美保さんのことが大きく新聞紙上に載りました。